日本歴史地名大系 「末吉郷」の解説
末吉郷
すえよしごう
近世、鹿児島藩が置いた外城(のち郷と称する)の一つで、
文禄三年(一五九四)八月に北郷忠虎領内として末吉など一五ヵ所・六万九千石の検地が行われたという(「北郷忠虎譜」旧記雑録)。同四年六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)には大隅のうち「すゑよし」とみえ、地内の一万二千三七五石余が伊集院忠棟の知行となっている。同五年一月二〇日の島津忠恒加増目録(旧記雑録)に「庄内末吉深川村」とみえる。郷内の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報