末吉郷(読み)すえよしごう

日本歴史地名大系 「末吉郷」の解説

末吉郷
すえよしごう

近世、鹿児島藩が置いた外城(のち郷と称する)の一つで、囎唹そお郡の南東部に位置する。北に財部たからべ郷、南西恒吉つねよし(現大隅町)があり、当郷に属した七ヵ村のうち南東部の南之郷みなみのごう村は日向国諸県もろかた郡のうちであった。現在の末吉町全域と、大隅町の北東部にわたる。

文禄三年(一五九四)八月に北郷忠虎領内として末吉など一五ヵ所・六万九千石の検地が行われたという(「北郷忠虎譜」旧記雑録)。同四年六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)には大隅のうち「すゑよし」とみえ、地内の一万二千三七五石余が伊集院忠棟の知行となっている。同五年一月二〇日の島津忠恒加増目録(旧記雑録)に「庄内末吉深川村」とみえる。郷内の岩崎いわさき村・二之方にのかた村・諏訪方すわかた村・深川ふかがわ村・南之郷村、中之内なかのうち村・五拾町ごじつちよう(現大隅町)の七ヵ村は近世初期の村切では二一ヵ村からなっており、寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳によれば、末吉郷のうちの稲井原いないはら村・宮路みやじ(以上、二之方村)、同郷の中島なかしま村・有持ありもち村・かく(以上、岩崎村)、同郷の村山むらやま村・柳井田やないだ村・鶴木つるき村・錬崎たたらさき村・上畠かみはた(以上、深川村)、同郷の蔵町くらのまち村・林迫はやしさこ村および上財部かみたからべ郷の西之にしの(以上、諏訪方村)、末吉郷の馬場ばば村・飯田いいだ村・菅牟田すがむた(以上、五拾町村)、同郷の田尻たじり村・かじ村・土成つちなり(以上、中之内村)、日向国諸県郡庄内南郷の大裏おおうら村・中裏なかうら(以上、南之郷村)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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