改訂新版 世界大百科事典 「伊集院忠棟」の意味・わかりやすい解説
伊集院忠棟 (いじゅういんただむね)
生没年:?-1599(慶長4)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…その後島津氏は日向,さらにすすんで肥後,肥前,豊後,筑後など北九州まで兵を進めたが,87年の豊臣秀吉の九州入り,島津攻めにより降伏。大隅の地は大半が島津義弘に安堵されたが,肝付一郡は伊集院忠棟(幸侃)に与えられた。94年(文禄3)には太閤検地が実施され,大隅国は17万557石余と算出され,うち加治木1万石は太閤蔵入分,曾於郡清水の内曾小川村ほか6328石余が石田三成分,肝付郡内岩広村ほか3005石余は細川幽斎分とされ,他は島津義久・義弘の蔵入分,それに伊集院忠棟(末吉ほか),島津以久(種子島,恵良部島,屋久島)知行分となった。…
…明智光秀,ついで豊臣秀吉に国を追われ,1585年(天正13)徳川家康に仕える。99年(慶長4)伊集院忠棟(幸侃)の事件のとき家康の使として薩摩に赴く(以後,晩年まで島津氏と幕府の仲介を務めた)。1603年3000石に加増され丹波の国奉行(1609年まで)。…
※「伊集院忠棟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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