末松村
すえまつむら
[現在地名]野々市町末松一―三丁目
手取川扇状地北東部に位置し、東は中林村、北は清金村。村の西部を郷用水の分流横江川が北西流し、南に轟、西に田畝垣内の二つの枝村がある。正保郷帳に村名がみえ高八〇二石余、田方五〇町九反余・畑方二町五反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高八二八石、免五ツ六歩(三箇国高物成帳)。同年間の家高数一一・百姓数二四(高免付給人帳)。「加賀志徴」によると、五―六軒の垣内からなる轟の周囲の雑木林は轟野とよばれ、西側の寺垣内といわれる二〇〇歩余の無毛地には、土居跡などが残っていたという。この無毛地は字名を法福寺と称するところから、土居跡などの遺構は寺跡とされる(石川郡誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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