本俣賀村(読み)ほんまたがむら

日本歴史地名大系 「本俣賀村」の解説

本俣賀村
ほんまたがむら

[現在地名]益田市本俣賀町

高津川支流の本俣賀川上流域に位置し、東は左(ひだり)ヶ山(やま)村、南は梅月(うめつき)村、北は小俣賀(こまたが)村。地名は股川(またがわ)に由来するという(石見八重葎)。本俣賀川の中流低地を中心とする農業集落で、益田から横田(よこた)村へ通ずる街道が通る。本俣賀川が村の中央を流れているため灌漑用水に恵まれ、伐替畑と称して櫨や三椏を栽培した。江戸時代の支配の変遷は高津村と同じ。元和三年(一六一七)の竹村丹後守引渡証文(亀井家記稿本)に村名がみえ、高二七七石余。古高二四八石余、寛永一四年(一六三七)の検地高三〇〇石余(万手鑑)。正保国絵図では高二七七石余。慶応二年(一八六六)六月の長州戦争の際、益田に向かった長州軍は当地を通り、扇原(おうぎばら)の関門に迫った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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