日本歴史地名大系 「本分村」の解説 本分村ほんぶんむら 福岡県:八女郡黒木町本分村[現在地名]黒木町本分、上陽(じようよう)町北川内(きたがわち)豆生野(まめうの)村・中籠(なかごもり)村の西に位置し、南を矢部(やべ)川が西流する。南東部に黒木盆地があり、東西に豊後別路が通る。村内の加藤姓の祖は肥後国から移住したと伝え、村名は同国の旧地名を用いたという。嘉応元年(一一六九)猫尾(ねこお)城主黒木助能が豊後の津江(つえ)神社(現大分県中津江村)より分霊を勧請したという今(いま)村の津江神社は本分村域に参道がまたがる。慶長一三年(一六〇八)上妻(こうづま)郡の「ほんふん村大庄屋」掃部らが代官・庄屋・乙名百姓・「さんし」(散使)らの判形を加えた差紙帳を柳川に提出するよう命じられている(三月二七日「田中吉政触状」稲員家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by