日本歴史地名大系 「本四之丁」の解説 本四之丁ほんしのちよう 福島県:会津若松市若松城下本四之丁[現在地名]会津若松市徒之町(かちのまち)・東栄町(ひがしさかえまち)・西栄町(にしさかえまち)本三之丁の北側を東西に走る郭内第四街、東は三日町(みつかまち)通の北端から外郭土塁に沿って北へカーブし、三日町口郭門からは直線で西へ走る道路で、西端は外郭土塁際の傍らで南に折れ、本三之丁の末に出る。長さ九町四二間・幅五間余、家数は寛政期(一七八九―一八〇一)には南側二三・北側二一(会津鑑)、化政期には四六軒の中堅武家屋敷街であった(新編会津風土記)。蘆名氏時代には当丁北側の邸内に千貫石とよばれる名石があった(同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by