日本歴史地名大系 「本堂城廻村」の解説 本堂城廻村ほんどうしろまわりむら 秋田県:仙北郡千畑村本堂城廻村[現在地名]千畑村本堂城回六郷(ろくごう)(現六郷町)から角館(かくだて)(現角館町)に至る街道が通り、また東西に南部領から大曲(おおまがり)(現大曲市)に至る街道が通る交通の要衝で、東は元本堂(もとほんどう)村、西は払田(ほつた)村(現仙北町)に接する。古代の払田柵(ほつたのさく)跡に近接し、村の開発は古いと考えられる。本堂家譜によれば、南北朝期に南部雫石(しずくいし)(現岩手県岩手郡雫石町)方面から、和賀氏一族がこの周辺に定着し、地名を取って本堂氏を称したというが、この地への定着は室町初期以降と考えられる。永禄(一五五八―七〇)、天正年間(一五七三―九二)には北部の戸沢氏と南部の小野寺氏に挟まれ、その時に応じ、微妙な立場を保った。天正一四年五月六日、小野寺氏領の沼館(ぬまだて)城を戸沢氏が攻めた時には「沼館ニ相働候得ども沼館城主ニ打まけ、阿気野より帰陣被成候、此時仙北の郎等堀田・梅沢・白岩・門家・大野・本堂心替り、戸沢ニ一味」とあり、戸沢氏に荷担している(語伝仙北之次第)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by