梅沢(読み)うめざわ

日本歴史地名大系 「梅沢」の解説

梅沢
うめざわ

[現在地名]二宮町山西

山西やまにし村の南西、東海道の押切おしきり坂の坂上にあった間の宿。小名越地こいじにあり、「梅沢の立場」とよばれる(風土記稿)。立場の東の一里塚を中心に小休本陣松屋、蔦屋・釜成屋などの茶屋が並び繁栄した(同書、「御休帳」和田文書)。間の宿は本来休憩所で、宿泊は禁じられていた。安政五年(一八五八)一月の梅沢茶屋旅人宿泊禁止願(県史九)によれば飯売下女を置き、客引や宿泊をさせているとして大磯宿から訴えられている。ただし特例として小田原宿・大磯宿が焼失した際、もしくは酒匂さかわ川の出水・川留の際にかぎり宿泊が許可されたが、賄いはすべて大磯宿が取仕切った(「尾州様御旅館相調候哉之御尋につき請書」和田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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