20世紀日本人名事典 「本堂恒次郎」の解説 本堂 恒次郎ホンドウ ツネジロウ 明治・大正期の軍人 陸軍軍医監。 生年慶応1年9月(1865年) 没年大正4(1915)年2月13日 出身地陸奥国盛岡(岩手県) 旧姓(旧名)上田 学歴〔年〕帝国大学医科大学〔明治25年〕卒 学位〔年〕医学博士〔明治40年〕 経歴上田重温の二男に生まれ、本堂氏を継ぐ。盛岡の医学校および外国語学校を経て、明治25年帝国大学医科大学を卒業。ついで陸軍に入り軍医となり、日清戦争には野戦病院付、日露戦争には衛生予備隊長として出征。内科学を専門とし、44年東京第一衛戍病院長、大正元年陸軍軍医学校長を経て、2年陸軍軍医監となり、近衛師団軍医部長を兼ねた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本堂恒次郎」の解説 本堂恒次郎 ほんどう-つねじろう 1865-1915 明治-大正時代の軍人。慶応元年9月生まれ。陸奥(むつ)盛岡の人。陸軍にはいり,軍医として日清(にっしん)・日露戦争に出征。東京第一衛戍(えいじゅ)病院長,陸軍軍医学校長をへて大正2年陸軍軍医監となり,近衛師団軍医部長をかねた。大正4年2月13日死去。51歳。帝国大学卒。本姓は上田。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by