本多忠顕(読み)ほんだ ただあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠顕」の解説

本多忠顕 ほんだ-ただあき

1776-1838 江戸時代後期の大名
安永5年4月16日生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)西条藩主松平頼謙(よりかた)の次男本多忠典(ただつね)の養子となり,寛政2年三河(愛知県)岡崎藩主本多家(定通系)3代。在任中に藩財政の立て直しをめぐって,改革派と忠顕をかつぐ反改革派が対立し,改革は失敗におわった。天保(てんぽう)9年3月4日死去。63歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android