フランスの政治家。重農主義者。家は貴族。父はパリ市長を務めた。パリ大学神学部に入学し、22歳で修道院長につく。が、ボルテールの文学に触発されて、信仰生活に懐疑を覚え、転じて官界に身を投じる。25歳から約8年間パリ高等法院訴願官の職につく。この間、医者で重農主義者のケネーと交際し、ディドロの『百科全書』にも寄稿する。1761年、リモージュのアンタンダン(地方監察官)に抜擢(ばってき)される。さまざまの改革や農業工事をおこし、13年間でリモージュを一変させた偉業に、国王ルイ16世が着目し、1774年8月財政総監に彼を迎えた。この日からフランス王制に国家改造の革新が持ち込まれた。すなわち「破産なく、増税なく、募債なく」を標語に、生産第一主義を唱え、持論の自由主義経済策を推進した結果である。剛毅(ごうき)ながら深謀を欠く彼は、矢つぎばやに、宮廷冗費の削減をはじめ、穀物統制の撤廃、麦の取引の自由化、賦役、ギルド制の廃止、臨時地租の徴集などを高等法院に登記せしめ(1776年3月)、波瀾(はらん)を巻き起こした。とくに地方制度の改革案で、市会や村会の身分制を廃止する法案を提起したため、領主貴族や法服貴族から反撃を受け、また麦の取引の自由化に反対する徴税請負人や財政ブルジョアの抵抗を浴び、さらに穀物統制の撤廃に伴う消費物価の上昇を恐れる大衆からも見限られ、1776年5月に辞任。同時に、先の諸案もうやむやに葬られた。主著に『富の形成と分配についての省察』がある。
[金澤 誠]
『チュルゴー著、永田清訳註『富に関する省察』(岩波文庫)』▽『エドガー・フォール著、渡辺恭彦訳『チュルゴーの失脚――1776年5月12日のドラマ』上下(2007・法政大学出版局)』
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