日本大百科全書(ニッポニカ) 「本多流」の意味・わかりやすい解説
本多流
ほんだりゅう
近代になって成立した弓術流派で、流祖を本多利実(としざね)(1836―1917)という。利実は橘之助(きちのすけ)と称し生弓斎(せいきゅうさい)と号した。幼少より旗本であった父利重(とししげ)より伝統的な歩射(ほしゃ)射法である尾州竹林(ちくりん)派(江戸竹林派)を学ぶとともに、正面に打ち起こす射法をとる騎射にも精通していた。利実は衰微した明治時代初期の弓道界に対し、弓道が端正篤実にして行状志を顕し、運動としてまことに結構なものであるとし、品行、体育、衛生に意義あるとの主張のもとに伝来の斜面から起こす歩射射法に対し正面に打ち起こす射法という新機軸を打ち出した。この歩射におけるいわゆる正面打起し射法をもって彼は第一高等学校をはじめ、東京帝国大学、華族会館、学習院などの指導にあたった。歩射におけるこの正面打起し射法は後にその遺風を敬慕した人々から本多流と称されるようになり、その在り方は明治・大正以降、日本弓界に多大の影響を与えた。
[入江康平]