コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

弓道 きゅうどう

7件 の用語解説(弓道の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

弓道
きゅうどう

弓を射る術。鉄砲の伝来などで弓が武器としての威力を失って以後も武士の心身修養のために盛んに行なわれた。流派の中心は小笠原流日置流 (へきりゅう) で,古式の競射としては流鏑馬 (やぶさめ) ,草鹿 (くさじし) などが残る。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

きゅう‐どう〔‐ダウ〕【弓道】

弓で矢を射る武道。また、その作法。明治以降一般に普及した。弓術。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

弓道【きゅうどう】

和弓で矢を射る術。弓術,古くは射芸とも。武士の表芸として古い伝統をもち,明治以後は剣道,柔道とともに一般に普及した。修練による人間形成を基本理念とする。他の武道スポーツに比べて女性や高齢者の愛好者も多い。
→関連項目通し矢日本武道館

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

日本文化いろは事典の解説

弓道

様々な武道の中でも相手が人ではないというのが珍しい、的を相手にした武道です。ゆっくりとした動作で、集中力を高めて自分の間合いで的を射る。そしてそ の結果を基に反省し、次回への努力が始まります。このサイクルが精神修練となります。一人の世界に集中することこそ醍醐味で、その落ち着いた所作・雰囲気 が現在でも人々に愛されています。

出典|シナジーマーティング(株)
日本文化いろは事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

きゅうどう【弓道】

弓で矢を射る術の修練を通して心身の鍛錬を狙いとする,日本の伝統的弓射文化の総称。古くは弓術,射術,射芸などと呼ばれた。現代弓道では弓射の理法の修練による人間形成の道を基本理念とし,多くの人々に愛好されている。なお〈弓道〉という用語は江戸時代に一部使用されているが,日本の弓射文化の総称として定着したのは昭和初期に入ってからである。
[歴史]
 弓矢の発祥がいつごろであったか正確には不明であるが,一般には旧石器時代末期には存在していたといわれ,新石器時代には世界の諸文化の中に共通してみられる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

きゅうどう【弓道】

弓で矢を射る武道。古く、狩猟・戦い・儀式の際に行われ、明治以降、修練による人間形成を理念とし、近代競技として一般に普及した。弓術。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

弓道
きゅうどう

概要

弓道とは、日本の風土と歴史のなかで実利性、宗教性、芸道性、教育性、競技性など多様な性格が絡み合いながら発展してきた日本固有の世界に誇れる弓射文化である。弓道は、年齢、性別、体力、体格にあまり左右されずだれもが親しむことのできる優れた運動特性をもっており、日本では若い人々をはじめ、近年中高年層にも愛好者が増加している。
 日本の弓射文化は次のような特徴がみられる。原始時代は短弓であったが、古代には2メートルを超える南方系の長弓が使用されるようになった。弓材は原始、古代中期までは木弓であったが、古代中期以降裏反(うらぞ)りを施した木・竹合成弓となり、その構造も時代が下るにつれ改良され今日に至っている。また機能的には握り部を全長の約3分の1下のところに置き、発射時の右手に対する衝撃がないように力学的にくふうされている。射法(主として取懸(とりか)け法)は広く東アジアに普及した蒙古(もうこ)式射法が採用されている。
 日本の弓射の目的が狩猟や戦いの武器、すなわち実利の具として使用されたことは諸外国と同様であるが、時代が下るにつれその威力から神器、聖器として尊崇される思想が形成されるようになる。一方中国古代にみられる文射思想(文射とは儀礼射による人間教育としての側面)の影響を受け、古代朝廷儀式のなかに儀礼射行事が行われるようになった。射は歩射(ほしゃ)と騎射(きしゃ)に大別できるが、歩射ではその目的によって的前(まとまえ)、遠矢前(とおやまえ)、差矢前(さしやまえ)、敵前(てきまえ)などがあり、さらに近世になると堂射(通し矢、堂前とも)が盛行した。また騎射も鎌倉時代に隆盛し、それぞれの目的に応じた射法や射術、用具などにくふうが凝らされた。鉄砲伝来後日本の弓射はその実利的価値を後退させるが、武射(弓矢の武器としての実利的側面)と文射の融合が図られ、近世武士教育の具として実践され、近代になってからは学校教育や社会教育に資するものとして広く親しまれ今日に至っている。また近年は諸外国からも関心が寄せられ、国際的な活動組織も発足している。[入江康平]

歴史

人類がいつごろ弓射文化をもつようになったかについて正確には不明であるが、旧石器時代末期から新石器時代の初期には弓射文化をもっていたとされ、いまから約1万年前のものと推定されるスペインのアルペラ洞窟やカスチロン洞窟に描かれた弓を引く人物像は有名である。日本の弓についてみると、その使用は縄文時代以前にさかのぼるとされており、現在発掘されているもっとも古い弓としては縄文時代前期のものが発掘されており、時代が下るにつれしだいに発掘品が多くなっていく。それらをみると長さが1.5メートル以下のイヌガヤ材でつくられた丸木弓であり、なかには破損や腐食防止のため漆塗りや樹皮巻、さらには弓腹(ゆばら)(弓の内側)に樋(ひ)(溝)を通したりしている弓もみられる。矢は箆(の)(矢幹(やがら)、矢柄(やがら)、矢箆(やがら))、羽、鏃(やじり)、筈(はず)で構成されているが、原始時代の矢がどのようなものであったかについては現在のところ鏃にみるしかない。縄文時代の鏃として黒曜石を中心に瀝青(れきせい)石や讃岐(さぬき)石でつくられた鏃が全国各地から数多く発掘されている。弥生時代になると骨製とともに銅や鉄製の鏃がみられるようになり、時代が下るにしたがい鉄鏃が主流となってさまざまな形の鏃がつくられるようになる。箆は竹材が中心であったと考えられ、矢羽として二枚羽や三枚羽がつけられていた。
 日本の3世紀ごろの風俗、習慣について述べた『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』や『前漢書』地理志のなかに、「木弓は下は短く上を長くし……」とあるように、すでにこのころの日本の弓の握り部が中央より下にあることが記されており、5世紀ごろのものと考えられる発掘品の弓は長さ2メートルもあり、おそよ上下7対3の位置に握り部がある。平安時代中ごろになるとこれまでの丸木弓の外側に竹を貼り付けた弓が考案された。これを伏竹弓(ふせだけゆみ)という。さらに平安時代末期から鎌倉時代初期になると伏竹弓の内側にも竹を貼り付けた。この弓を三枚打弓(さんまいうちゆみ)という。また室町時代になると芯(しん)に木を入れ、内、外、両側面に竹を貼り付けた四方竹弓(しほうちくゆみ)、さらには内外を竹、両側面を木、芯に何本かの竹籤(ひご)を用いた弓胎入(ひごい)り弓がつくられるようになった。
 射法でもっとも顕著な相違として現れるのは、右(左)手指でつがえられた矢と弦(つる)をどのように持って引くか、すなわち取懸け法の相違である。この取懸け法は時代や民族、地域によって相違がある。もっとも古く素朴な取懸け法は(1)つまみ型Pinch Method、(2)つまみ型の変形であったと考えられるが、その後、(3)地中海型Mediterranean Form、(4)蒙古(もうこ)型Mongolian Formへとそれぞれ発展、伝播(でんぱ)していった。日本の弓射文化は地理的、歴史的にみて東アジア圏にあり、(4)蒙古型Mongolian Formの取懸け法が行われ今日に至っている。
 奈良時代から平安時代の約480年はさまざまな朝廷行事が制定され盛大に行われた時代であるが、射礼(じゃらい)や賭弓(のりゆみ)などの歩射行事や騎射節(きしゃのせつ)の行事も中国文化の影響を受け、文射的性格のもとに盛んに行われた。これらの弓射行事は朝廷の公式行事であったため委細が定められた。歩射に携わる専門の家柄としては伴氏や紀氏が知られており、この両家を中心にしてしだいに弓矢の操法や所作進退の法が定まっていった。一方平安時代中・末期から鎌倉時代にかけて各地に起こった戦乱のなかで、弓矢は有効な戦闘武器の最右翼として尊重された。武士を「弓矢とる身」、その在り方を「弓矢の道」などと称し、とくに鎌倉武士は騎射の三物(みつもの)といわれる流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)、犬追物(いぬおうもの)の訓練を盛んに行った。このころの弓射行事の記録のなかに騎射の家柄として武田・小笠原両家の名がみえるようになる。
 南北朝時代から室町時代初期にかけて武器の操作法にくふうがみられ、応仁(おうにん)の乱から戦国時代にかけて武術の進歩が目覚ましい。個人の戦いの技術である武術は、当初は生まれもった運動能力のみに頼るものであり、次代への継承も血族、同族など狭い範囲にとどまっていたと考えられるが、15~16世紀ごろになると、弓術をはじめ馬・剣・槍(やり)など各武術分野に優れた才能をもつ人物が出現する。この名人・達人たちがそれぞれにたてた武術理念のもとに編み出した技術は、非力な者でも一定の指導手順のもとに継続的に学べば、強い相手にも勝つことができる優秀なものであったため、その技術を学ぼうとする者が現れるようになる。ここに師弟関係が生まれ、技術体系や伝達方式が整備されていく。このように特定の理念とそれを背景にした優れた技術の確立をもって流派が誕生するのである。弓術においてはこの時代歩射射術に革新的な射法、射術を創始した日置弾正正次(へきだんじょうまさつぐ)が現れた。日本弓術の中興の祖とされる彼の標榜(ひょうぼう)する日置流は後に雪荷(せっか)派、道雪(どうせつ)派、印西(いんさい)派、大蔵(おおくら)派、竹林(ちくりん)派などに分派し全国各地に広まり定着し、江戸時代になって成立した大和(やまと)流にも大きな影響を与えた。
 江戸時代になり武術はその実利性が後退する一方、心の問題の重要性に対する気づきから禅と結び付き心法に意が払われるようになる。また儒教の普及により武士教育は武術と儒教の二本柱により行われるようになるが、弓射は歩射、とくに小的前(こまとまえ)を中心に主として上・中武士のたしなみとして実践された。この時代特筆すべきは堂射が盛行したことである。堂射は京都三十三間堂(後には江戸でも行われた)の西側外縁の制限された空間を一昼夜かけて射通す競技であり、その最高記録は1686年(貞享3)紀州の和佐大八郎(わさだいはちろう)(大八とも)が出した8133本(惣矢数13053射)であり、この記録はその後破られていない。幕末になり設置された講武所で一時弓術や犬追物が採用されたが、まもなく除外された。
 明治時代一時衰退していた弓術も時代が下るにつれ復興の兆しがみられるようになる。国民のナショナリズムの高揚とともに武術に対する関心が高まり、1895年(明治28)大日本武徳会の設立により弓術も柔道、剣道などとともに奨励されるようになり、昭和前期には全盛期を迎えた。一方学校教育の場でも1936年(昭和11)に正科教材として採用された。第二次世界大戦が終わりを告げることにより大日本武徳会は国家主義、軍国主義に協力したという理由で解散を余儀なくされ、学校では弓道をはじめ各武道の実施が禁止された。その後弓道は1951年には学校での実施が認められ、1967年には高校の正科体育教材として採用された。一方弓道の全国組織として1949年(1947年全日本弓道連盟を設立したが解散)日本弓道連盟が設立され、1950年日本体育協会加盟、国民体育大会への参加などを経て1957年財団法人全日本弓道連盟として新たに発足した。そして弓道の普及、発展のため指導者養成の講習会や称号段位審査、各種競技会の主催、後援などの事業を行い今日に至っている。2008年現在登録会員は約13万人とされているが、潜在的な愛好者は相当数いると考えられ、古くて新しい運動文化として関心が寄せられている。海外における弓道は戦後ヨーロッパを中心に徐々にではあるが普及し、1972年欧州弓道連盟連合会が設立され、2006年(平成18)5月には17か国参加のもと国際弓道連盟(IKYF)が発足した。[入江康平]

現代弓道

現代弓道は他武道のように対人形式でなく固定された標的に対して弓の弾性を利用して矢を正確に射当てることを目的とするもので、その修練を通して人間形成に寄与しようとするものである。その運動はきわめて静的な動きのなかから瞬間的な動的運動が要求されるため、心気の安定と厳しい自己統制が求められるという特性をもっている。個人の心・技の善悪が直接結果に反映し、その責任のすべてが射手自身にある。したがって弓道ではつねに反省、和敬、克己、謙虚さが求められる、つねに威力ある矢を正確に的中させるためには、健全な身体と安定した心気、修練を重ねた技術が必要であり、そのためには冷静、沈着、勇気、果断などが不可欠となる。弓道は徳育的・体育的効果とともに人間として教養を高め生活を豊かにすることをねらいとしている日本の風土と歴史に根ざした伝統的な運動文化であるといえよう。[入江康平]
用具
(1)弓 日本弓の材質は木や竹を組み合わせた弓が伝統的であるが、昭和40年代以降グラスファイバー材やカーボンファイバー材の弓がつくられるようになり、年を追うごとに改良が加えられ性能がよくなっており、若い射手の多くはこれを愛用している。
 弓の長さは7尺3寸(221センチメートル)を基準として射手の矢束(やつか)の長短により2寸伸(227センチメートル)、3寸詰り(212センチメートル)などが使用される。弓の強さを表す方法としては古来から「○人張りの弓」とか、握り部上辺の弓の厚さを測定し「○分(ぶ)の弓」などということがあるが、今日ではばね秤(ばかり)を使用し85センチメートル(並寸の場合)引いたときの強さをさし、「○キログラムの弓」と表示するのが一般的である。また弦を張った弓を側面からみた形状を張顔(はりがお)というが、日本弓はいずれの部分をみても同じ曲線をもたない五つの曲線で構成されており、握り部が全長の約3分の1下に位置している点に特徴がみられ、その形状の美しさと力学的に改良の余地のない優れた機能性は高く評価されている。弦は古来より細い麻を撚(よ)り合わせてつくられ重さで表示する。また近年強力な合成繊維の弦が普及している。この弦は太さによって細・中・太の3種類がある。
(2)矢 矢は箆(の)(矢幹)、羽、矢尻(根)、筈から構成されている。箆は矢竹(真篠(ましの))という竹を使用し、さまざまな工程を経てつくる。最近ではジュラルミンやカーボン材のシャフトも普及している。羽は主として鷲(わし)や鷹(たか)の羽が用いられる。また矢は箆の節の位置、太さ、重さ、バランス、羽の模様(これを符(ふ)、文(ふ)、斑(ふ)という)などの条件をそろえた2本を「一手」というが、4本あるいは6本1組として使用する場合が多い。
(3)(ゆがけ) 弓を引く際右拇指(ぼし)根を保護するために使用する鹿革(しかがわ)材の手袋状の弓具である。歩射におけるはその形状から三つ、四つ、諸(もろゆがけ)に大別できる。またその構造から柔帽子(やわらかぼうし)、堅帽子(かたぼうし)などがある。はその使用目的によって相違するが、的前では三つが正式のものとされている。[入江康平]
射法
古来より的前では1本の矢を発射するための心身の一連のありようを五つ、七つ、あるいは12に区分しこれを「五味」、「七道」、「十二の掟(おきて)」などと称していたが、今日では昭和前期なって「七道」に残身(ざんしん)(心)を加えた「射法八節」として次のように説明している。
(1)足踏み 下半身を安定させるため足を左右に踏み開く動作およびその形で、両足の広さは身長の約2分の1(矢束の長さ)、両足の角度は約60度、的と両足拇指が一直線になることを基本とする。踏み開き方には「一足」と「二足」の2方法がある。
(2)胴造り 上体を正しく腰に据え、背筋をまっすぐに伸ばし、呼吸を整え、心気を丹田に納めることをいう。
(3)弓構(ゆがま)え 射に入る準備動作で、取懸け(つがえられた矢と弦の持ち方)、手の内(発射に際し合理的に弓を働かせるための左手指の握り方)、物見(ものみ)(標的を正しく見込むための顔の向け方)の3動作とその完了した形をいう。弓構えには、取懸けをした後ほぼ(は)(握り部と弦との間隔のこと)の高さのままで体正面で手の内を整える方法と、取懸け後弓を体左前方に移行し、少し弓を押し開き手の内をつくる方法とがある。
(4)打起(うちおこ)し 弓を引き分けやすくするため、弓を適当な高さまであげる動作とその完了した形をいう。打起しの方法には大別して、両拳の平衡を保ちながら体正面に構えた弓を体前上方にあげた後左斜め前に両拳を運び大三(だいさん)(竹林派の教えの一つで押大目引三分一(おしだいもくひけさんぶいち)の略。父母大三(ふぼだいさん)・肘力(ちゅうりき)ともいう。正面打起しの場合、打起しの後引分けに移る準備として弓手を左斜めに送り差し伸ばし、馬手(めて)は前腕を曲げ弓手(ゆんで)の方に弦が引かれる力に対応し、左右の力の均衡を保つ動作およびその形をいう。斜面打起し射法における打起しの極に相当する)に移行する方法、体前上方に弓をあげ、途中で止めないで大三に移行する方法、弓構えの段階で体左前方に構えた形から両拳の均衡を保ちながら体斜め前上方に打ち起す方法とがある。
(5)引分(ひきわ)け 弓を左右に引き分ける動作をいう。矢をつねに水平に保ちながら左右上腕の力を均衡にして押し開き、「会(かい)」の形まで引き込む過程をいう。
(6)会 引分けの完了した形をいう。形上発射の準備、すなわち正しいねらい、引くべき矢束(やつか)、胸弦(むなづる)、頬付(ほおづ)けが整った段階で、これを「詰合(つめあ)い」という。さらにこの形から上下左右に気力を充実、伸展させることを「伸合(のびあ)い」というが、この「伸合い」の極で発射の直前の心気の状態を「(やごろ)」という。
(7)離れ 形式的にいえば馬手(右手)の弦枕(つるまくら)から弦が離れ、弓の復原につれて矢を送り出す動きをいう。「伸合い」から「」に達した絶好の瞬間馬手・弓手相応じ意識して放すことの鍛錬を通して、これが反射運動となって「離れ」の動作をおこすことを理想とする。射術上この離れはもっともむずかしいものとされている。
(8)残身(心) 発射した後の緊張がもとに戻るまでの形と心の状態をいう。射の総決算であり、離れまでの一連の動きの良否はこの残身(心)に表れるとされている。[入江康平]
施設・設備
弓道場は(1)射場(しゃじょう)、(2)的場(まとば)、(3)矢道(やみち)からなり、南北方向で北側に射場を置くこと(南向き)が望ましい。(1)射場は射を行う施設である。天井は4メートル以上の高さで横方向の板張りとし、的面から28メートルの位置(射手の体中心)に射位を設ける。なお射場側には審判席、控え席、更衣室など付帯施設を設置する。(2)(あずち)(的を立て、矢を受けるためにおがくずを混ぜた土や川砂を盛ったところ)に屋根をつけた施設を的場という。(3)矢道は射場と的場の間をいう。芝生を張ることにより落ち着いた雰囲気が出る。
 近的(きんてき)用の的は幅約10センチメートルの檜(ひのき)の薄板を直径36センチメートル(1尺2寸)に丸くして的枠をつくる。この的枠の表の絵には白三条、黒三条の同心円を描いた霞的(かすみまと)や、中心に黒い円を描いた星的(ほしまと)などがある。なお遠的(えんてき)用の的は通常直径100センチメートルの的紙を使用する。[入江康平]
競技法の概要
(1)競技には近的競技と遠的競技の2種目がある。近的競技は射距離28メートル(体中心から的面まで)とし、的は通常直径36センチメートルの霞的を使用する。的は的中心が地上27センチメートル((あずちしき)と射場床面を同じ高さとする)、的面を5度傾斜させて設置する。また競技会によっては24センチメートル(8寸)の星的を使う場合もある。遠的競技は射距離60メートルで的中心が地上97センチメートル、傾斜角度15度とした的をスタンドに設置する。
(2)競技の種類には個人競技と団体競技(3名以上で構成)がある。
(3)使用する弓の長さは221センチメートル(7尺3寸)を基準とし、若干の長短(2寸伸=227センチメートル、3寸詰り=212センチメートル)が認められている。また握り部が全長の約3分の2下にある和弓であること、さらに矢やにも若干の規定がある。
(4)勝敗の決め方には的中制、採点制、得点制の3方法がある。的中制はあらかじめ決められた射数を行いその的中数によって決める方法で、これがもっとも一般的な方法である。なお個人競技で同中の場合射詰(いづ)め競射や遠近競射が採用されることがある。また団体競技の場合は再度一射または一手行射し、その総的中数で順位を決める。採点制は一定の射数を行い、これに対し審判員が採点し順位を決める方法である。現在では全日本選手権大会予選でこの方法が採用されている、称号段位審査もこの一種といえよう。得点制は色的の中心に近い部分に高得点を配し、決められた射数の総得点で順位を決める方法である。
(5)的中の判定は的表面主義とし、的中した矢が折れ根のほうが的内側にある場合、矢が当たって的が転びその矢が的についている場合、当たった矢が地面についている場合などは「当たり」、掃(は)き当たり(矢が地面を滑って当たる)の場合や矢が的面にある矢を射て跳ね返った場合などは「はずれ」と規定している。その他矢つがえ後の筈こぼれや打起し後に引直しした矢は無効となる。またいったん射位についた射手が無断で射位を離れたり、不必要な発声、助言を求めたり受けるなどの行為は禁止されている。[入江康平]
『宇野要三郎監修『現代弓道講座 第1巻』(1970・雄山閣出版) ▽石岡久夫著『近世日本弓術の発展』(1993・玉川大学出版部) ▽入江康平・森俊男編著『弓道指導の理論と実際』(1998・不昧堂出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone

弓道の関連情報