本明城跡(読み)ほんみようじようあと

日本歴史地名大系 「本明城跡」の解説

本明城跡
ほんみようじようあと

[現在地名]江津市有福温泉町本明、那賀郡金城町入野

標高四一七メートルの本明山山頂に築かれた山城乙明おとあけ城ともいう。本明山の北麓に位置する阿刀あと別符は元暦元年(一一八四)一一月二五日の源範頼下文案(益田家文書)に藤原(益田)兼栄・兼高父子の所領としてみえ、貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文には「ふく知行」として「あと 七丁一反半」がみえる。福屋氏は三隅氏・周布氏と並ぶ益田氏の有力庶子家で、阿刀別符を含めた那賀郡中央部から邑智おおち郡南西部にかけての山間部の公領を基盤として、在地領主化していったことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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