江津市(読み)ゴウツシ

デジタル大辞泉 「江津市」の意味・読み・例文・類語

ごうつ‐し〔ガウつ‐〕【江津市】

江津

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日本歴史地名大系 「江津市」の解説

江津市
ごうつし

面積:一五八・四〇平方キロ

中国地方最大の江川が日本海に入る河口左岸の江津を中心に東西に開ける。東は邇摩にま温泉津ゆのつ町、南は邑智おおち桜江さくらえ町と那賀郡金城かなぎ町、西は浜田市に接し、北は日本海に臨む。市域の南東部はおおむね標高二〇〇メートルの中山間地帯をなすが、北西斜面の日本海沿岸は一〇〇メートル以下の海岸段丘および砂丘地帯である。海岸に並行してJR山陰本線が走り、東から黒松くろまつ浅利あさり・江津・都野津つのづ敬川うやがわ波子はしの各駅がある。JR三江線は江津駅から江川の峡谷に沿って広島県の三次みよし市に達する。市域内に江津本町ごうつほんまち千金ちがね川平かわひらの各駅がある。国道九号はほぼJR山陰本線に並行して沿岸部を北東から南西に通じる。同二六一号は江津から江川右岸を川本町因原いんばらに通じ、因原で江川を渡り支流の井原いはら川右岸に沿って広島県に通じる。江津の地名は江川河口の港津の意から江津または郷津と称された。市制施行にあたり中心地である江津町の名称をもって市名とした。

〔原始〕

原始・古代の遺跡は海岸と山丘の間の東西に細長くあるいは点々と広がる平地に分布し、密度では江川以西が濃い。波子遺跡では縄文時代中期以降、後・晩期、さらに弥生・古墳時代から古代にかけて集落の存在した形跡が認められている。このほかにも縄文時代後・晩期の土器が出土した遺跡は数ヵ所あり、縄文時代後半期から弥生時代にかけて進んだと思われる海退により小河川の河口付近に潟湖ができ、その湖岸に縄文人が集落を営むようになったのであろう。弥生時代の遺跡では波来浜ならはま遺跡が著名で、弥生中期後葉から後期前葉の貼石を施した方形低墳丘墓群とその副葬品類には階級分化の萌芽の様相をみて取ることができる。集落の詳細な内容がわかる遺跡は未発見であるが、先の波子遺跡で弥生時代前・中・後期から古墳時代のほぼ全期間にわたる土器が採取されていることや、都野津町一帯で弥生時代中・後期の土器が出土する遺跡が見つかっていることから判断すると、小潟湖単位で核となる集落を中心に幾つかの集落が存在し、村落を形成していたと考えられる。波来浜遺跡の墳丘墓に埋葬されたのはこうした村落の首長層とみられる。古墳時代の遺跡としては、高野たかの山と天狗てんぐ山の南斜面に広がる高野山たかのやま古墳群があげられる。小規模の横穴式石室をもつ円墳約三〇基が幾つかの小グループに分れて存在し、七世紀頃の築造と考えられている。これらの横穴式石室墳が現れる以前の古墳として、箱形石棺を納めた古墳が二、三知られるが、詳細は不明。


江津市
ごうつし

2004年10月1日:江津市が邑智郡桜江町を編入
【桜江町】島根県:邑智郡
【江津市】島根県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江津市」の意味・わかりやすい解説

江津〔市〕
ごうつ

島根県中部,江川下流域の市。日本海に臨む。 1954年江津,都野津の2町と川波,二宮,跡市,浅利,松川,川平,江東の7村が合体して市制。 2004年 10月に桜江町を編入。市名は,古くから江津または郷津として江川舟運の拠点であったことによる。山陰道宿場町,江川流域の物資が集散する日本海岸有数の河口港として発展。山陰本線開通後は江川舟運の衰退により河口港町としての機能も衰えた。米作のほか果樹栽培が行なわれ,河口付近の砂丘地にはレーヨンパルプなどの工場が進出,西部の都野津地区では良質の陶土を産し石州瓦,陶器などの窯業は伝統工業。南西部に有福温泉がある。重要無形民俗文化財の大元神楽が伝わる。桜江には名勝の千丈渓があり,市域の一部は断魚渓・観音滝県立自然公園に属する。海岸部を JR山陰本線,江川沿いを三江線が走り,国道9号線,261号線が通じる。面積 268.24km2。人口 2万2959(2020)。

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