本田成之(読み)ホンダ シゲユキ

20世紀日本人名事典 「本田成之」の解説

本田 成之
ホンダ シゲユキ

明治〜昭和期の中国哲学者,漢学者,書画家 龍谷大学教授。



生年
明治15(1882)年1月

没年
昭和20(1945)年3月4日

出生地
岐阜県本巣郡

別名
号=蔭軒

学歴〔年〕
京都帝大文科大学支那哲学科〔大正2年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和6年〕

経歴
出家して名古屋円通寺で修業、南画を学んだ。また早大、曹洞宗大学林(現・駒沢大学)に学び還俗。京大卒業後神宮皇学館教授を経て、大正9年龍谷大学支那学科主任教授となり、同年小島祐馬博士らと「支那学」を発刊。一方富岡鉄斎に南画を師事、昭和10年ころから書画展を数回行った。著書に「支那近世哲学史考」「富岡鉄斎と南画」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田成之」の解説

本田成之 ほんだ-しげゆき

1882-1945 大正-昭和時代前期の哲学者,漢学者。
明治15年1月24日生まれ。神宮皇学館教授をへて,大正9年仏教大(現竜谷大)教授。同年小島祐馬(おじま-すけま)らと雑誌「支那学」を発刊する。富岡鉄斎にまなび,文人画もえがいた。昭和20年3月4日死去。64歳。岐阜県出身。京都帝大卒。号は蔭軒。著作に「支那経学史論」「支那近世哲学史考」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android