20世紀日本人名事典 「本田親男」の解説 本田 親男ホンダ チカオ 昭和期の新聞記者,新聞経営者 元・毎日新聞社長;元・毎日放送会長。 生年明治32(1899)年11月21日 没年昭和55(1980)年7月30日 出生地鹿児島県鹿児島市 学歴〔年〕早稲田大学文学部英文科〔大正9年〕中退 経歴神戸新聞社を経て、大正13年大阪毎日新聞社に入社。社会部記者として経験を積み、ベルリンオリンピックの取材にあたった他、日中戦争中は特派従軍記者となった。昭和17年大阪本社編集局次長、20年編集局長となる。敗戦後、経営幹部退陣の後を受けて取締役となり、23年社長に就任、33年会長、のち最高顧問。36〜52年毎日放送会長、のち相談役となった。この間日本新聞協会会長を2期務める。新聞、放送などマスコミ界で先駆的役割を果たした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田親男」の解説 本田親男 ほんだ-ちかお 1899-1980 昭和時代の新聞記者,新聞経営者。明治32年11月21日生まれ。大阪毎日新聞の社会部記者などをつとめ,昭和20年毎日新聞大阪本社編集局長。敗戦で幹部総退陣のあと取締役にえらばれ,23年毎日新聞社長。夕刊の復活,専売制への移行,新日本放送(現毎日放送)の創立などにあたった。36年毎日放送会長。昭和55年7月30日死去。80歳。鹿児島県出身。早大中退。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by