新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「本田親雄」の解説 本田 親雄ホンダ チカオ 肩書枢密顧問官 別名通称=弥右衛門 弥平 生年月日文政12年9月6日(1829年) 出身地鹿児島 経歴文久2年の寺田屋事変の際には双方の負傷者の救護に尽力する。戊辰戦争時には海軍参謀兼任陸軍参謀となり、のち越後府権判事に転じる。他権大書記官、大書記官等歴任し、13年元老院議官となる。その後行政裁判所評定官、貴院議員、錦鶏間祇候を経て40〜42年枢密院顧問官を務める。功により男爵に叙せられた。 没年月日明治42年3月1日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田親雄」の解説 本田親雄 ほんだ-ちかお 1829-1909 幕末-明治時代の武士,官僚。文政12年9月6日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。京都留守居役兼横目をつとめ,文久2年寺田屋事件のときには負傷者を救護した。戊辰(ぼしん)戦争では海・陸軍参謀。のち元老院大書記官,元老院議官,枢密顧問官を歴任する。貴族院議員。明治42年3月1日死去。81歳。通称は弥右衛門。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by