20世紀日本人名事典 「本荘堅宏」の解説 本荘 堅宏ホンジョウ ケンコウ 明治〜昭和期の大陸浪人 生年文久3年(1863年) 没年昭和9(1934)年12月20日 出生地筑後国久留米(福岡県) 経歴筑後久留米の真宗東本願寺派の本庄寺住職・慈門の長男に生まれる。のち鹿児島造士館の漢学教師となり、ついで京都に出て真宗大谷学校の教師を務める。明治30年札幌に露清語学校が開設され教授として赴任。同校の閉鎖後、岩倉善久らと共に満州(中国東北部)、韓国、ロシアの各地を視察。日露戦争が始まると甲辰義会を組織して樺太(サハリン)海馬島を占領し、のち漁場を開いた。大正4年頃東京に日露郵報社を設けて両国事情の紹介に努め、6年末からセミョーノフ将軍を助けてシベリア独立を画策した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本荘堅宏」の解説 本荘堅宏 ほんじょう-けんこう 1863-1934 明治-昭和時代前期の大陸浪人。文久3年生まれ。京都の真宗大谷学校教師。満州(中国東北部),韓国,ロシアの各地を視察。日露戦争がはじまると甲辰義会を組織して樺太(サハリン)海馬島を占領し,のち漁場をひらく。大正6年末からセミョーノフをたすけてシベリア独立を画策した。昭和9年12月20日死去。72歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by