セミョーノフ(読み)せみょーのふ(英語表記)Григорий Михайлович Семёнов/Grigoriy Mihaylovich Semyonov

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セミョーノフ」の意味・わかりやすい解説

セミョーノフ(Nikolay Nikolaevich Semyonov)
せみょーのふ
Николай Николаевич Семёнов/Nikolay Nikolaevich Semyonov
(1896―1986)

ロシアの物理化学者。1917年ペトログラード(のちのレニングラード、現、サンクト・ペテルブルグ)大学卒業。1928年レニングラード工科大学教授。1931年よりソ連科学アカデミー(現、ロシア科学アカデミー)化学物理研究所所長、1944年よりモスクワ大学教授を兼任。1932年よりソ連科学アカデミー会員で、1963~1971年アカデミー副総裁。化学物理学の創始者の一人。旧ソ連におけるこの分野の多くの研究者を育てた。1927~1928年、爆発反応で熱爆発のほか連鎖爆発が存在することを提唱し実験的に証明。さらに分枝型と非分枝型の連鎖反応の一般理論をつくった。これらの研究で1956年イギリスのヒンシェルウッドとともにノーベル化学賞受賞。その後も、多数の連鎖反応、ラジカル反応反応機構を解明した。こうした反応速度論研究で1976年レーニン賞を受賞した。

[梶 雅範]


セミョーノフ(Grigoriy Mihaylovich Semyonov)
せみょーのふ
Григорий Михайлович Семёнов/Grigoriy Mihaylovich Semyonov
(1890―1946)

ロシアのコサック将校。反革命軍指導者。ブリヤーチア出身。第一次世界大戦に参加し、1917年の二月革命後、義勇軍編成のためザバイカル州に派遣され、同年の十月革命後は日本軍の援助のもとで反ソビエト・コサック軍を指揮した。18年夏、ザバイカル州で軍事政権樹立、のちコルチャーク政権からチタ軍管区総司令官に任命された。20年1月、コルチャーク政権崩壊後はその政権を受け継いだが、日本軍のザバイカル州からの撤兵とともに勢力を失い、21年、日本に亡命。その後、満州(中国東北)で反ソビエト活動を続けたが、45年の日本の敗戦とともにソ連軍に逮捕され、処刑された。

[藤本和貴夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セミョーノフ」の意味・わかりやすい解説

セミョーノフ
Semënov, Nikolai Nikolaevich

[生]1896.4.15. サラトフ
[没]1986.9.25.
ソ連の化学者。ペトログラード大学卒業後,レニングラード工科大学教授 (1928) ,ソ連科学アカデミー会員 (32) 。 35年モスクワの化学物理学研究所所長に就任。 44年にはモスクワ大学教授を兼任。反応速度論,特に爆発反応での連鎖機構の理論,混合気体での爆発限界の存在の発見などで著名。 1956年 C.ヒンシェルウッドとともにノーベル化学賞を受賞。 63年科学アカデミー副総裁。

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