朱学範(読み)しゅがくはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱学範」の意味・わかりやすい解説

朱学範
しゅがくはん / チューシュエファン
(1906―1996)

中国の労働運動指導者。浙江(せっこう)省嘉善の人。上海(シャンハイ)法政大学卒業。もと郵務工会(労組)の幹部にすぎなかったが、1927年四・一二反共クーデター後、国民党系労働運動指導者陸京士の片腕として頭角を現し、陸の政界転出後は国民党系労働運動の最高幹部となり、1932年国民政府立法委員、1939年中華労働協会理事長となる。1945年パリの世界労連(世界労働組合連盟)成立大会に共産党系労働運動指導者鄧発(とうはつ)とともに中国代表として出席、以後共産党系労組との労働戦線統一を図ったため国民政府に弾圧される。1946年11月香港(ホンコン)に逃れ、ソ連経由で1948年解放区のハルビンに入り、中華全国総工会副主席となる。新中国成立(1949)後、政務院郵電部長、全国総工会副主席を務め、1981~1993年には全国人民代表大会常務委員会副委員長を務めた。

[阿川修三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱学範」の意味・わかりやすい解説

朱学範
しゅがくはん
Zhu Xue-fan

[生]光緒31(1905).10.5. 浙江,嘉善
[没]1996.1.7. 北京
中国の労働運動指導者。 1928年国民党入党。 32年上海市総工会主席,翌年上海法学院卒業。 39年国府系の中華労働協会理事長に就任 (~49) 。 46年8月モスクワの世界労連執行委員会会議に中国代表として参加したが,国府の弾圧でホンコンに逃れ,48年1月何香凝らと国民党革命委員会を結成し,3月ハルビンで中国共産党に協力することを声明した。同年8月中華全国総工会副主席,54年国務院郵電部長,56年国民党革命委員会常務委員の地位につき,64年人民政治協商会議第4期全国委員会常務委員に選出され,平和運動,対外友好運動に幅広い活動をしていたが,文化大革命時期には郵電部長を解任される。 78年第5期全人代常務委員,88年 11月国民党革命委員会主席。主著に『我与民革四十年』がある。

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