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李四光 りしこう Lǐ Sì guāng

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世界大百科事典 第2版の解説

りしこう【李四光 Lǐ Sì guāng】

1889‐1971
中国の地質学者。湖北省黄岡県の農家に生まれ,日本で造船学を学んだが,後にイギリスグラスゴー大学で地質学を修め,中国を代表する地質学者となった。地質力学の創始者として有名である。1952年に新政府の下で地質部が置かれたが,彼はその部長となり,大慶油田の開発を推進した。58年に共産党に入党し,中央委員に選ばれた。著書に《地質力学概論》《中国第四紀氷河》《中国地質学》《地震論》などがある。【藪内 清

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李四光
りしこう / リースーコワン
(1889―1971)

中国の地質学者。英語名はJ. S. Leeを用いる。湖北省黄岡県回竜鎮に生まれる。(しん)国公費留学生として日本へ留学し、孫文の中国同盟会へ参加した。帰国後、辛亥(しんがい)革命に参加して、のち、イギリス、バーミンガム大学で地質学を学ぶ。1918年帰国して北京(ペキン)大学地質系教授となった。1922年中国地質学会を創立して副会長となり、国立中央研究院地質研究所所長を兼ねる。中国、東アジアの大構造について研究し、1939年英文で『中国の地質』を著した。またこれより先、四川(しせん)、北西中国や東シナ海、華北平原での石油の有望性を指摘する。日中戦争時は地質研究所の移転とともに、重慶(じゅうけい)にまで行った。1947年イギリスに留学し、中華人民共和国成立後1950年に帰国した。1952年地質部(省)が設立されたとき、部長(大臣)に就任する。第一次五か年計画作成に際し、東北地区、華北平原の石油の有望性と開発の必要性を力説して受け入れられ、今日の石油産出への道を開いた。また中国科学技術協会会長、中国地質学会理事長として、中国の地質学のみならず広く科学技術の振興に力を尽くした。[木村敏雄]

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