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李徳明 りとくめいLi De-ming; Li Tê-ming

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李徳明
りとくめい
Li De-ming; Li Tê-ming

[生]太平興国7(982)
[没]天聖9(1031)
タングート (党項) 族の王 (在位 1004~31) 。諡,光聖皇帝。廟号,太宗。李継遷の子。臣事し,宋は彼を西平王,遼は大夏国王とした。一方自国内では彼は帝と称し,子の李元昊 (りげんこう) を太子とした。彼は父の代に引続き涼州 (甘粛省武威県) 地方の吐蕃甘州 (同省張掖県) 地方のウイグル両族と争い,1028年元昊の働きで甘州を攻取した。

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世界大百科事典内の李徳明の言及

【西夏】より


[概観]
 唐・五代にわたり,中国西北辺境で発展を重ねたタングート族は,宋初に入って夏州李氏の間に内訌の続いた結果,定難軍節度使,李継捧(?‐1004)は所管の夏・銀・綏(すい)・宥(ゆう)4州を宋に献じたが,これに反対する族弟,李継遷(963‐1004)は宋への抗戦を始め,しだいに故地を回復し,1002年(咸平5)には西北の要衝,霊州を陥れ,西平府と改称してここへ移り,河西方面への突破口を開こうとした。李継遷の後をうけたその子,李徳明は宋・遼との衝突をさけ,もっぱら宋との経済外交に努め,07年(景徳4)には榷場(官営貿易場)貿易の開始に成功した。さらに河西へ進出して河西ウイグルの商業貿易権を奪取せんとしたが,これには河西ウイグル自身の抵抗はもとより,同様に河西進出をねらう遼の妨害工作があったうえに,湟水(こうすい)流域(青海省西部)には唃厮囉(こくしら)のもとに統合された青唐吐蕃が反抗を示した。…

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