中国における,現在の甘粛省武威県を中心とした地域の古名。この名は前漢の武帝のとき匈奴を討って河西回廊地帯を平定し,今日の陝西省西部から甘粛省東部を涼州と称したのに始まる。当時の中国領土の最北西部で,気候が寒涼だからだという。そしてこの地は,東西交渉の重要な通過地点で交易が盛んであった。また西方の遊牧民族と接する前線地で,唐詩では辺塞詩として数多くこの地がうたわれた。王翰の〈葡萄の美酒,夜光の杯,飲まんと欲すれば,琵琶馬上に催す。酔いて沙場に臥す,君笑うこと莫なかれ。古来征戦,幾人か回(かえ)る〉はその最も人口に膾炙(かいしや)するものである。前・後漢時代の州とは行政区画ではなく,いくつかの郡を併せた監察区域であったが,のちしだいに行政区画に変わり地域も狭く郡と同様のものとなった。もともと涼州の中心であった武威郡のことを隋・唐時代に涼州ともいったのはそのためで,行政中心は姑臧(こぞう)県におかれ他にいくつかの県を管轄していた。宋には西涼府,元には西涼州と称したが,清のとき涼州府となり姑臧県は武威県と改名された。中華民国以後,涼州府は廃止され,現在,武威県は武威地区の地区政府の所在地である。
執筆者:日比野 丈夫
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…五胡十六国時代には前涼,後涼等の都となった。武威郡はその後,涼州,西涼州などといわれたが,清代になって姑臧県は武威県と改名された。灌漑が発達し農業が盛んで,付近の農産物の集散地でもある。…
※「涼州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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