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李杲 りこうLi Kao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李杲
りこう
Li Kao

[生]淳煕7(1180).真定
[没]淳祐11(1251).2.25. 真定
中国元代の医師で,金元四大家の一人。張元素について医学を学んだ。字は明之,東垣と号した。門人に羅天益がある。一時,梁,東平などにいたが,嘉定 17 (1224) 年帰郷した。脾,胃を補うのを治病の根本としたので補土派,温補派などと呼ばれた。また,朱震亨と併称して李朱医学といわれる。『脾胃論』ほか多くの著作がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

りこう【李杲 Lǐ Gǎo】

1180‐1251
中国,金・元時代の四大家の一人とされている名医。しかし資産家のため医を業とはしなかったという。字は明之,東垣(とうえん)老人と号し,通常李東垣と呼ばれる。正定(河北省)の人。は元気を損ずると内傷を起こして病気になるとして内傷学説を唱え,最も重要な臓器が脾と胃で,その気を補益することが大切であるとして補剤を多く用いた。彼の一派は温補派と呼ばれ,彼の説は朱震亨(しゆしんこう)の説といっしょにして李朱医学といわれる。

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世界大百科事典内の李杲の言及

【中国医学】より

…そのきっかけとなったのは成無己の《註解傷寒論》であったといわれ,《傷寒論》の内容を《素問》の理論で解釈している。その後,金・元の四大家といわれる劉完素,張従正,李杲(りこう),朱震亨(しゆしんこう)をはじめ,張元素,王好古(1210?‐1310?),羅天益(1220?‐1290?)など多くの医家が出現し,それぞれ特徴のある理論と治療法を主張した。たとえば劉完素と張従正は寒涼派といわれるように激しい作用を持った薬を多く用い,李杲と朱震亨は温補派(この2人の流れに従った医学を李朱医学ともいう)といわれるように温和な薬を用いることを提唱した。…

※「李杲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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