日本大百科全書(ニッポニカ) 「李朱医学」の意味・わかりやすい解説
李朱医学
りしゅいがく
漢方医学の一学派。中国の金(きん)・元(げん)の時代(12~14世紀)に「金元医学」とよばれる新しい潮流が、劉完素(りゅうかんそ)(劉河間(かかん))、張従正(ちょうじゅうせい)(張子和(しわ))、李杲(こう)(李東垣(とうえん))、朱震亨(しんこう)らによってつくられた。このうち李杲は、病気の原因は体外ではなく体内の環境にあると考え、朱震亨は李杲の考えを発展させて治療法などを生み出した。この2人の医説を李朱医学とよぶ。この医説を室町時代の日本の医家、田代三喜(さんき)が、中国に留学して修めて帰国、田代は日本における李朱医学の開祖と称される。田代に師事したのが曲直瀬道三(まなせどうさん)で、彼は京都で多くの後進を指導、李朱医学は日本化され、充実して江戸時代初期まで日本の医学に重要な位置を占めた。なおこの医説は後世派とよばれる。
[内田 謙]