李継捧(読み)りけいほう(その他表記)Li Ji-peng; Li Chi-p`êng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李継捧」の意味・わかりやすい解説

李継捧
りけいほう
Li Ji-peng; Li Chi-p`êng

[生]?
[没]1004
タングート (党項)族の長。兄李継 筠没後,定難軍節度使となった (980) 。継捧の承継は族内に反対があったため,宋に入朝し所管の夏,銀,綏,宥,静の5州を献じ,臣事した (982) 。族弟の李継遷は内属に反対してオルドスに独立し,遼と結び宋に侵入した。宋の太宗は趙普の策により継捧を夏州刺史,定難軍節度使夏銀綏宥静等処観察処置押蕃落 (おうばんらく) 等使に任じ趙保忠の姓名を与え,継遷を討たせた。これは一時成功し継遷は宋に謝したが,再び叛し,継捧も遼についたので,太宗は李継隆に彼を討たせて捕え,宋都 汴 (べん) に住まわせた。

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世界大百科事典(旧版)内の李継捧の言及

【西夏】より

…中国の西北部,寧夏,甘粛,オルドス,陝西の諸地域を領有した。
[概観]
 唐・五代にわたり,中国西北辺境で発展を重ねたタングート族は,宋初に入って夏州李氏の間に内訌の続いた結果,定難軍節度使,李継捧(?‐1004)は所管の夏・銀・綏(すい)・宥(ゆう)4州を宋に献じたが,これに反対する族弟,李継遷(963‐1004)は宋への抗戦を始め,しだいに故地を回復し,1002年(咸平5)には西北の要衝,霊州を陥れ,西平府と改称してここへ移り,河西方面への突破口を開こうとした。李継遷の後をうけたその子,李徳明は宋・遼との衝突をさけ,もっぱら宋との経済外交に努め,07年(景徳4)には榷場(官営貿易場)貿易の開始に成功した。…

※「李継捧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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