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澶淵の盟 センエンノメイ

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デジタル大辞泉の解説

せんえん‐の‐めい【澶淵の盟】

1004年、南下して黄河に達したとの間に結ばれた平和条約。宋は遼に歳幣を贈り、国境は現状を維持することなどを約した。以後、1世紀以上にわたり平和が続き、遼は宋の影響を受けて文化・経済面で大きく発展した。澶淵は条約の締結地澶州(せんしゅう)のこと。

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世界大百科事典 第2版の解説

せんえんのめい【澶淵の盟】

中国で1004年(宋の景徳1∥遼の統和22)宋と遼の間に結ばれた和平条約。五代から宋初,河北に領域を広げる遼と,失地回復を目ざす漢民族王朝の間に攻防がくりかえされた。中国を統一した宋朝も太祖以来しばしば北征を行い,遼側もなんらかの形で決着をつける必要があった。遼の6代皇帝聖宗は充実した国力を背に,1004年河北を席巻して宋都開封に近い黄河畔の澶州(河南省濮陽)に布陣した。宋の3代皇帝真宗は宰相寇準(こうじゆん)にひきずられてみずからこれを迎え,両者正面衝突したが,まもなく和約の道が選ばれた。

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大辞林 第三版の解説

せんえんのめい【澶淵の盟】

1004年、南下して黄河河畔の澶州に達した遼りようと、これを迎え撃った宋との間に結ばれた和平条約。宋は遼に歳幣を送り、国境は現状を維持することなどを約する。これにより、戦争状態は終結し、両国に繁栄をもたらす。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

淵の盟
せんえんのめい

1004年、宋(そう)と遼(りょう)との間に結ばれた平和条約。淵(河南省濮陽(ぼくよう)市)は春秋時代の衛(えい)の地で、晋(しん)、斉(せい)などの諸侯がここで盟を結んだ故事がある。万里の長城以南のいわゆる燕雲(えんうん)十六州の地が契丹(きったん)(遼)の支配下に入った宋代では、淵は黄河防衛の戦略上の拠点となった。山西省を中心とした五代の最後の国、北漢が滅んだ979年以後、宋は契丹と直接境を接することになり、それまでの友好関係は一転して戦争状態に入ったが、1004年に至り、契丹の聖宗と宋の真宗の間の誓書の交換という形で、ようやく平和が到来した。その交渉が真宗の淵出陣を背景に行われたことから、淵の盟という。内容的には、五代の後晋(こうしん)以来の契丹への条件の追認、すなわち燕雲十六州の割譲、銀10万両、絹20万匹の歳幣が主であったが、国境線上での非武装地帯の設置などの画期的な手段がとられたこともあって、この条約による平和は1世紀以上続き、宋の経済や文化の発展の基礎になった。[山内正博]

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世界大百科事典内の澶淵の盟の言及

【寇準】より

…剛勇で直言をはばからず,太宗から唐の魏徴になぞらえられた。真宗の初年(1004)宰相となり,侵入してきた契丹軍に対し,弱腰の真宗を親征にふみきらせ,澶淵(せんえん)の盟を結ぶことに成功した。国初よりの契丹との関係に決着をつけ,北宋の平和をもたらした功績は大きい。…

【宋】より

…太宗は北漢を平定した余勢をかって,五代後晋が遼に割譲したいわゆる燕雲十六州の奪回をめざして出兵したが,2度とも大敗して,その望みを断たれた。かえって1004年(景徳1),遼の大挙侵入をうけ,澶(せん)州において和議(澶淵の盟)を結び,宋は兄,遼は弟の関係とし,宋から多額の銀と絹とを歳幣として贈ることを定めた。そのころ西北辺にはタングート族が興起し,東西貿易の利を占めて強大となり,1038年(天授礼法延祚1)ついに独立して大夏国を建てた。…

【遼】より

… 太宗の死後,世宗・穆宗(ぼくそう)・景宗の3代の間は,皇位をめぐって内紛が起こり,また宋(北宋)の反攻に悩んで守勢に終始したが,6代聖宗の時代を迎えて国勢は躍進した。聖宗は対宋攻略を積極的に進め,しばしば親征し,華北の失地を回復したばかりでなく,1004年(統和22∥宋の景徳1)宋軍を破って澶淵(せんえん)の盟を結び,以後莫大な歳幣を得て有利に国勢を安定させることができた。また聖宗は東は高麗(こうらい)を降し西は西夏と結んで西域諸国を朝貢させ,その勢威は一時中央アジアからペルシア方面にまで及んだ。…

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