朝日日本歴史人物事典 「村尾元融」の解説
村尾元融
生年:文化2.3.8(1805.4.7)
江戸後期の考証家。遠江国(静岡県)浜松の医師村尾董覚の3男。名良治,通称善四郎,元融は号。少年時代,父の友人浜松藩儒医久保寿軒に学び,江戸に移って朝川善庵の学古塾に入る。天保1(1830)年ごろ西遊し,豊後日田の広瀬淡窓・旭荘 を訪問し,さらに長崎へ赴き多くの漢学者,国学者と交わった。その後旗本の新見正路に仕え,蛮社の獄(1839)では渡辺崋山救済のために奔走した。正路の没後再び浜松藩主井上家に仕え,『続日本紀考証』を完成させたが,刊行ならずして没した。同書は養子の元矩によって明治に入って刊行された。<参考文献>森銑三「村尾元融伝の研究」(『森銑三著作集』7巻)
(飯倉洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報