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新見正路 しんみ まさみち

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美術人名辞典の解説

新見正路

徳川幕臣。通称吉次郎・伊賀守、号は茅山・賜蘆堂。大阪西町奉行を経て本城内枢事を務める。経史に博通し、詩歌国字文を能くした。嘉永元年(1848)歿、58才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

新見正路 しんみ-まさみち

1791-1848 江戸時代後期の武士。
寛政3年9月12日生まれ。幕臣。文政12年大坂西町奉行となり,淀川大さらいをし,河口に天保(てんぽう)山をきずく。西丸小姓組番頭(ばんがしら)格式をへて,天保の改革で将軍徳川家慶(いえよし)の御側御用取次となるが,水野忠邦(ただくに)の失脚とともに罷免される。蔵書家で賜蘆(しろ)文庫をつくる。詩歌にもすぐれた。嘉永(かえい)元年6月27日死去。58歳。字(あざな)は義郷。通称は吉次郎。号は茅山,賜蘆堂。歌集に「賜蘆詠草」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

新見正路

没年:嘉永1.6.27(1848.7.27)
生年:寛政3.9.12(1791.10.9)
江戸後期の幕臣で蔵書家。通称は吉次郎。伊賀守。文政12(1829)年大坂西町奉行となり,淀川の大浚い工事の土砂で築かせた天保山は,長く市民の娯楽の場となった。天保12(1841)年に天保の改革が始まると,将軍徳川家慶の側近である御側御用取次となる。水戸藩士藤田東湖が,「誠によき人物,誠実顔色にあらわれ」と評した人柄を見込まれ,将軍と老中の間に立って両者の円滑な意思疎通と機密の保持を求められる御側御用取次に登用されたのである。また,古典の教養も深く,蔵書家で邸内に賜蘆文庫を設けた。

(藤田覚)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しんみまさみち【新見正路】

1791‐1848(寛政3‐嘉永1)
江戸後期の幕臣。伊賀守,従五位下。通称は吉次郎,字は義卿。目付を経て1829年(文政12)4月大坂西町奉行に就任した。在職期間は2年余と短かったが,生計困窮者を救済し,訴訟の公正を期し,また市中の川筋の浚渫(しゆんせつ)に尽力して,いわゆる天保の御救大浚え(さらえ)を実現させ,名奉行とうたわれた。31年(天保2)9月西丸御小姓組番頭格御用御取次見習に栄転し,江戸に帰る。【藤本 篤】

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