国指定史跡ガイド 「村田清風旧宅および墓」の解説
むらたせいふうきゅうたくおよびはか【村田清風旧宅および墓】
山口県長門市三隅下にある邸宅跡と墓所。村田清風は幕末期、長州藩の要職にあって藩政改革に手腕をふるった人物で、9代藩主毛利斉房(なりふさ)から13代藩主敬親(たかちか)までの5代藩主に仕えた。天保の改革といわれる政策によって窮乏する藩財政の再強化をはかり、軍事力と教育改革の充実につとめ、明治維新で長州藩が活躍する基礎を固めた。村田清風旧宅は、1783年(天明3)、清風が生まれた家である。萩市平安古(ひやこ)の役宅から暇あるごとに帰省し、旧宅をみずから三隅山荘と称していたという。1845年(弘化2)以後は再びこの家に戻り、1855年(安政2)に病死するまでここで過ごした。隠居後も、吉田松陰など多くの客が来訪した。旧宅には草葺き平屋建ての母屋を中心に、米蔵、馬小屋、納屋、湯殿がある。また、墓所は旧宅の西約100mの大歳山(おおとしやま)にある。1941年(昭和16)に旧宅と墓がともに国の史跡に指定された。近くに村田清風記念館がある。JR山陰本線長門三隅駅から防長バス「沢江」下車、徒歩約10分。