来内村(読み)らいないむら

日本歴史地名大系 「来内村」の解説

来内村
らいないむら

[現在地名]遠野上郷町来内かみごうちようらいない

物見ものみ(九一七・一メートル)の東麓に位置し、来内川流域の平坦地に集落がある。東は平倉ひらくら村、南は気仙けせん世田米せたまい(現住田町)。寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)によれば、来内村の高三一石余が八戸弥六郎直義(遠野南部氏)知行地となった。元禄十郡郷帳による〆高は田方四六石余・畑方二八石余。「邦内郷村志」では高七五石余、家数三七、うち枝村は砂子沢二・神楽二・横懸二・神楽田四・五面一三・細越沢二・堤五・堂地三・宇南一・長洞二・下新田一・長根山一・横道二(合計が合わないが史料ママ)。享和三年(一八〇三)の仮名付帳によると家数三七、枝村なし。正徳享保(一七一一―三六)頃まで農間に砂金を採集していた(遠野古事記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android