柳田国男(やなぎたくにお)の著書。1909年(明治42)に、柳田国男が、遠野の住人であった佐々木喜善(きぜん)から聞いた話をまとめ、翌10年6月に公刊した書物で、日本民俗学史上、『後狩詞記(のちのかりことばのき)』『石神問答』と並ぶ古典とされている。現在の岩手県遠野市に伝わる昔話、伝説、世間話を集めた豊富な内容は、江戸時代から明治を経た山間部に住む人々の日常生活を具体的に物語っている。柳田は『遠野物語』について「此(この)書を外国に在(あ)る人々に呈す」「之(これ)を語りて平地人を戦慄(せんりつ)せしめよ」と冒頭で記しており、日本文化のなかにおける山人の存在や、山と平地の文化交流を軸にして、民俗文化を把握しようと考えていた。公刊当時の反響は弱かったが、現在では幅広い読者層を得て読まれている。
[宮田 登]
『『遠野物語』(角川文庫)』
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…猿ヶ石川の河童(かつぱ),六角牛山の狼や猿や鹿の話,おしら様(おしら信仰)を正月に遊ばせて運勢を判断したり,座敷童子(ざしきわらし)が家運の盛衰を示したりする話が語られたのはその一端である。柳田国男は名著《遠野物語》(1910)で,これら住民の口頭伝承を集成し文学的に述べたが,以後,遠野は民俗学の宝庫として脚光を浴び,近年は民話のふるさととして観光客も多くなっている。【千葉 徳爾】。…
…西の大迫口,南の遠野口などから登山路がある。【川本 忠平】
[民俗]
早池峰山は,柳田国男の《遠野物語》や山麓部の村々に伝えられてきた山伏神楽が世の脚光を浴びるにつれて,広く知られるようになった。《遠野物語》には早池峰の山の神を含めて遠野地方の幻想的世界が描き出されており,山村に住む人々の生活と心を伝えている。…
…さらにその年の秋には岩手県遠野出身の佐々木喜善(1886‐1933)から遠野地方に伝承されるさまざまなふしぎな話を聞き,魅惑された。この二つの体験を,それぞれ《後狩詞記(のちのかりことばのき)》(1909),《遠野物語》(1910)の2書にまとめ,民俗学の研究に踏み込むこととなった。初期の柳田国男の研究は,水田稲作に基盤をおく定住農耕民ではなく,山間奥地に住み狩猟や焼畑農耕に従事する山人(やまひと)や山間を移動する木地屋(きじや)のような職人集団に関心をもち,彼らの独自の文化を明らかにしようとしたものであった。…
※「遠野物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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