日本歴史地名大系 「来浦」の解説 来浦くしくうら 大分県:東国東郡国見町来浦櫛来別符ともいい、古代国東郡伊美(いみ)郷(和名抄)内に開発された別名。周防灘に注ぐ櫛来川の流域、現国見町櫛来地区に比定される。開発後、宇佐宮に寄進され同宮常見名田となった。建久八年(一一九七)の成立とされる豊後国図田帳宇佐宮弥勒寺領抜書案(到津文書)に「櫛来浦十五丁 宇佐宮領 弁済使 地頭宮沙汰」とみえ、建久年間以後に成立した「宇佐大鏡」には常見名田中に「櫛来別符」とあり、「田数廿丁国半不輸 但宮召物 加地子稲百六十九束二把 八丁四ゝ(イ八丁九ヽ)卅代 所当用作一丁三段」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by