平安時代,一部の国衙領や荘園におかれた役職で官物租米の収納等に当たる。ごく早い例として947年(天暦1)閏7月23日の太政官符に〈しかるに近年いらい諸国の司,弁済使を置くものあり。公家の知るところにあらず。官物をその所に納め,あるいは私計をその中に成す〉(《政事要略》)とあり,国司が私的に設けた役職であったことがわかる。また《中右記》元永2年(1119)12月29日条には,〈(検非違使)府生経則ハ数代之因幡弁済使也〉とあり,私的においたものとはいえ,国単位の弁済使があったことが知られる。1094年(嘉保1)以後にまとめられた東大寺諸国御封文書にも,1085年(応徳2)の個所に〈越後弁済使〉が見える。このような弁済使のあり方は,〈成安〉という仮名をもつ国雑掌と共通するところがあるが,1096年の東大寺所司等解には,〈毎任(封物)減済,これ弁済使の非法なり。ここをもって他国を察すべきなり。賜るところの寺家封戸その数ありといえども,雑掌等のため法をまげらる。公物を費やすといえども寺家のため益なし〉とあり,弁済使と雑掌が同義的に用いられている。またとくに注目すべき弁済使の例として摂関家領島津荘の場合がある。島津荘の弁済使は半不輸の寄郡のみに見られる。1175年(安元1)8月14日,島津荘政所は勾当僧安兼を大隅国百引村の弁済使職に補し,〈かの職としてことに勧農を致し荘国の課役を勤仕せしめんがため〉定め遣わした。このように寄郡において荘国の課役を勤仕するものであったため,弁済使は領家側(荘政所,預所,給主)によって補任され,挙状にもとづき国衙が承認するという形式で決められたようである。
執筆者:工藤 敬一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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