杭出津(読み)くいでつ

日本歴史地名大系 「杭出津」の解説

杭出津
くいでつ

[現在地名]大村市杭出津

大村の中央部で、大上戸だいじようご川が大村湾に注ぐ。元亀三年(一五七二)大村純忠は杭出津より上陸した松浦氏の攻撃を受けており、天正三年(一五七五)杭出津に砦を築いたという(大村郷村記)。元和八年(一六二二)のドミニコ会宛の大村ロザリオ組中キリシタン連判書付に「くいでつ村」の「たミあん」らが署名している。明暦三年(一六五七)郡崩れの処刑者らが家族と最後の別れをしたと伝える辻にはその涙で苔が生えないという所伝をもつ妻子別れの石二個が残る。延宝元年(一六七三)大村藩主一行が杭出津から壱岐力いきりき(現多良見町)に渡り、長崎に向かっている(九葉実録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む