中世よりみえる彼杵庄内の地名。「和名抄」に記される彼杵郡彼杵郷を継承すると考えられる。正和四年(一三一五)三月一六日の鎮西裁許状(尊経閣文庫所蔵東福寺文書)によれば、「彼杵次郎入道行蓮」が領家代一度の惣検を行わず、得分を抑留したとして彼杵庄雑掌に訴えられているが、年貢・済物のほか網代用途があり、網場があったことが注目される。嘉暦四年(一三二九)七月三日の東福寺領肥前国彼杵庄文書目録(正慶乱離志裏文書)に彼杵弥次郎ら五名が記され、彼杵庄内の一分領主であったと考えられる。平安末期に薩摩国の伊作良通の次女をめとったとされる彼杵三郎久澄(久純)がいたという(薩隅日地理纂考)。正平一七年(一三六二)彼杵弥土与丸代兵衛五郎・同清水彦三郎紀清久・同岡五郎紀清種・同島田弥三郎紀清俊といった紀姓の彼杵諸氏が彼杵庄一揆に参加している(同年九月日「彼杵一揆連判状断簡写」福田文書)。清が通字であろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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