日本歴史地名大系 「東七番丁」の解説 東七番丁ひがししちばんちよう 宮城県:仙台市仙台城下東七番丁[現在地名]仙台市東七番丁・新寺(しんてら)一丁目・中央(ちゆうおう)一丁目・五橋(いつつばし)三丁目東六番丁の東裏に並行して割付けられた街路で、侍屋敷が整然と並ぶ。南は通町荒(あら)町の西寄りの街区に突当る。正保仙台城絵図ではこの突当りから北の行当りまで一三町三四間とされ、足軽屋敷が割付けられる。「仙台鹿の子」によれば、南東にある足軽屋敷の柴田(しばた)町とは別に当町を柴田町と俗称したようである。また当町西で結ぶ五ッ橋通から荒町の間は深田で通路になりがたいため、城北の中山(なかやま)(現中山ニュータウン)から柴を切入れ道としたために同町名があるという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by