日本歴史地名大系 「東久留米村」の解説 東久留米村ひがしくるめむら 福岡県:久留米市旧御井郡地区東久留米村[現在地名]久留米市東町(ひがしまち)・大手町(おおてまち)・篠原町(しのはらまち)・天神町(てんじんまち)・東和町(とうわまち)・通東町(とおりひがしまち)久留米段丘の南東部、櫛原(くしはら)村の南東に位置し、筑後川水系の池町(いけまち)川が南部を流れる。北は久留米城下に接する。応永二五年(一四一八)二月二八日の報恩寺寺領坪付注文(隈家文書/久留米市史7 資料編古代・中世)に久留目屋敷とみえる。北部に久留米城下から高良(こうら)山に至る古道があり、沿道に八(や)ッ墓(はか)があるが、天正一九年(一五九一)久留米城主小早川秀包に招かれた高良山座主麟圭・良巴父子らが帰途に誘殺され(「高良山開基」高良山文書)、村人が合葬したものという(久留米市誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by