東京都中北端の市。1956年(昭和31)町制施行した久留米町が1970年市制施行して成立。その際、同名の市が福岡県にあるため、東を冠して現称とした。「久留米」の行政地名は、地域を流れる久留米(黒目(くろめ))川によるもので、1889年(明治22)成立の村名に始まる。武蔵野(むさしの)台地にあり、野火止用水(のびどめようすい)開削(1655)後の元禄(げんろく)年間(1688~1704)から新田が開発された。1915年(大正4)武蔵野鉄道(西武鉄道池袋線)が開通、1934年(昭和9)自由学園が豊島(としま)区から移転してきてから都市化が進展した。町制施行後の1960年代からひばりが丘団地、滝山団地、東久留米団地などの大規模住宅団地ができ、住宅衛星都市として人口が急増した。人口規模に比較して商店街の形成が遅れていたが、1994年(平成6)駅西口開設、1997年新市庁舎落成など駅周辺の開発が進み、大型店も進出した。市内には湧水が多く、竹林公園や、平林寺(へいりんじ)(埼玉県新座(にいざ)市)へのハイキングコースがある。面積12.88平方キロメートル、人口11万5271(2020)。
[沢田 清]
東京都中北部の市。1970年市制。人口11万6546(2010)。武蔵野台地のほぼ中央に位置し,中央部を東流する黒目川,落合川の流域は湧水にも恵まれて縄文時代の遺跡が数多く分布している。江戸時代初期,玉川上水から野火止(のびどめ)用水が分水されてから開墾が進み,享保年間(1716-36)に多くの新田が開かれた。以来,畑作中心の農村として大麦,小麦,ダイコン,サトイモなどがつくられ,養蚕も行われた。1915年に池袋~飯能間に開通した武蔵野鉄道(現,西武池袋線)に東久留米駅が開設され,さらに自由学園や中島飛行機工場の進出などにより第2次大戦後の宅地開発の基盤が形成された。昭和30年代中ごろから東久留米,滝山などの大団地が相次いで建設され,近郊住宅都市として発展している。
執筆者:井内 昇
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