大学事典 「東亜同文書院大学」の解説
東亜同文書院大学
とうあどうぶんしょいんだいがく
Toa Dobunshoin University
1939年(昭和14)に現在の中国上海市に開学。東亜同文会(初代会長は近衛篤麿)は,大陸で活躍する人材養成を目的に1900年(明治33)に南京同文書院を開設したが,義和団事件の余波を受け上海に移転,新たに設立された東亜同文書院と合併した。この1901年に設立された東亜同文書院が東亜同文書院大学の直接の前身であり,私立専門学校として初代院長に根津一を迎え,修業年限を3年とする政治・商務の2科を置いた。1937年頃より大学昇格への熱意が高まり,39年東亜同文書院は東亜同文書院大学に昇格。初代学長に大内暢三を迎え,同年に大学予科,41年に学部を開設した。第2次世界大戦後,中国による大学の接収が行われ1945年に閉学となるが,大学昇格から閉学までの7年間に国際都市上海で中国およびアジアを重視した国際人の養成に努め,433名の卒業生を輩出した。なお閉学するも1946年に,最後の学長を務めた本間喜一の先導のもと,卒業生や教職員の努力により愛知大学が誕生した。
著者: 戸村理
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報