東伊古部村(読み)ひがしいこべむら

日本歴史地名大系 「東伊古部村」の解説

東伊古部村
ひがしいこべむら

[現在地名]豊橋市伊古部いこべ

高塚たかつか村の西に続き、遠州灘に沿う村。慶長六年(一六〇一)から幕府領、寛永一〇年(一六三三)鳥羽藩領、享保一〇年(一七二五)幕府領、天明二年(一七八二)から享和三年(一八〇三)までの間は旗本曲淵甲斐守領、その後また幕府領になった。

文久元年(一八六一)の東伊古部村書上帳(伊古部区有)によると、年貢津出しは、植田うえたまで二里余、御馬おんま(現宝飯郡御津町)まで川船で三里余。東海道白須賀しらすが宿(現静岡県)の助郷村である。戸口は九〇戸、四三五人、うち男二二四・女二一一。安政六年(一八五九)の東西伊古部村境取替証文(伊古部区有)に「是迄之所切起し切添等致し候場所者格別、以後ハ東村之者西向よりニ扣田畑有之、西村之者東向よりニ扣田畑有之候共堅く相止メ、切起し切添等一切被致間敷候段ニ取極メ申候」とあり、村境の件につき規定書が取交わされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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