東助巻村(読み)ひがしすけのまきむら

日本歴史地名大系 「東助巻村」の解説

東助巻村
ひがしすけのまきむら

[現在地名]朝日町宮宿みやじゆく

曲流する最上川上流右岸にあり、北は中郷なかごう村、西は西助巻村。正保郷帳では田方八一石余・畑方一五石余。慶安二年(一六四九)以降松山藩領。天保郷帳には東助之巻村とある。宝暦八年(一七五八)の左沢御領知村高組訳書抜帳(松山町教育委員会蔵)によれば東五百川ひがしいもがわ中郷組に属し、高一〇四石余、家数一四・人数五四。天明七年(一七八七)の松山藩左沢領村々大概書(同委員会蔵)によれば高一〇四石余、田三町九反余・畑一町六反余、家数一三・人数六六、馬二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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