日本歴史地名大系 「東古保志塚村」の解説 東古保志塚村ひがしこぼしづかむら 滋賀県:八日市市東古保志塚村[現在地名]八日市市市辺町(いちのべちよう)布施(ふせ)村の北にあり、北は糠塚(ぬかづか)村、西は西古保志塚村。古保志は古墳を意味する。中世後期から近世前期には破塚(こぼちづか)と記すことが多く、また塚を略して東古保志・東破と称することもあった。永正一四年(一五一七)今堀勧進猿楽能に「東破塚」から太刀五振が奉納された(同年一〇月一七日「勧進猿楽日記」今堀日吉神社文書)。翌一五年一一月一日の山越年貢銭算用状(同文書)などには保内商人座の一つとして破塚郷の名がみえており、これは東古保志塚を中心としたものと考えられる。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に「東こほちつか」三三三石余とあり、慶長六年(一六〇一)以降仙台藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by