日本歴史地名大系 「西古保志塚村」の解説 西古保志塚村にしこぼしづかむら 滋賀県:八日市市西古保志塚村[現在地名]八日市市市辺町(いちのべちよう)東古保志塚村の西にあり、西は上羽田(かみはねだ)村。東古保志塚村同様、中世後期から近世前期にかけては西破塚(にしこぼちづか)と記すことが多く、また塚を略して西古保志・西破と称することもあった。中世には羽田庄に属したともされるが、近世には羽田地域との関係はほとんどみられない。永正一四年(一五一七)今堀(いまぼり)勧進猿楽能に西破塚から太刀二が奉納された(同年一〇月一七日「勧進猿楽日記」今堀日吉神社文書)。天正一九年(一五九一)「西こほちつか」五八一石余は徳川家康領となり(同年四月「徳川家康知行目録写」大谷文書)、慶長六年(一六〇一)以後陸奥仙台藩領。翌七年の西破塚村検地帳(安田文書)では田五二町余・畑二九町九反余・屋敷五反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by