東大高村
ひがしおおだかむら
[現在地名]武豊町東大高
東は海に面し、北は大足村、南は市原村の別所池(現別曾池)を水源とする新川を境に富貴村と接する。中世末富貴城下の一部をなしていた。
「寛文覚書」によると概高四六三石余、田二一町八反余・畑七町三反余、新田二石余、家数八二、人数四九〇。新川について「当村地之内、別曾川堤五百間」とある。また「塩浜弐畝弐拾歩、定納米」とあり、「地方古義」には慶長一三年(一六〇八)の御縄高取帳に浜年貢を塩で上納し、尾州領郷帳によって塩二斗四升を定納していたとし、近世初期までは塩業が行われていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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