江戸時代,町人が幕府や藩から新田開発を請け負い,みずからの資金・技術・労働力で開発した新田。請け負う際,新田地代金を課されることが多い。町人はその新田の地主となり,入植農民や出作農民に小作させることが多かったが,新田地を売却する場合もあった。町人が新田地へ移住してみずから管理にあたったり,新田会所のような機関を設けて管理したりすることもあった。このように当初から地主的土地所有を前提としていた。正保期の若狭国大藪新田,慶安期の美濃国本阿弥新田,明暦期の武蔵国吉田新田,元禄期の摂津国川口新田,宝永期の大和国川筋新田・尾張国神戸(かんど)新田,享保期の越後国紫雲寺潟(しうんじがた)新田などが有名。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…大坂川口海表新田ともいい,現大阪市西部一帯で江戸初期から幕末まで,およそ260年間にわたって開発された諸新田の総称。大阪湾岸河口部の沼沢地やデルタは,大阪平野のうちでは最も新しい沖積層で,陸化の進行にともない,1600年代の初めごろから,干拓にともなう新田の開発が進められたが,元禄年間(1688‐1704)になると,大坂三郷に通ずる諸河川の源流から放出される土砂は,木津川,安治川,尻無川,伝法川などに堆積し,川口への舟運が不便になった。…
…大坂の豪商鴻池家の3代目善右衛門宗利の資力によって旧大和川支流(玉串川)の流末沼沢地の一部を干拓して造成した。町人請負新田の代表例とされている。開発経緯は,05年正月に地代金を上納,同年5月着工,鍬下年季年を経て07年8月に完成した。…
…近世の地主はその発生要因から新田開発地主,土地集積地主に大別され,その身分関係からは郷士地主,普通地主,寺院地主,村地主などに分類できる。 新田開発地主は近世初頭の土豪開発新田や中期以降の村請新田,百姓寄合新田,町人請負新田などによって田畑屋敷地の所持面積を広げ,小作経営を拡大していったものである。土豪開発新田は兵農分離過程で武士層に上昇しえず,主家の没落によって,もしくはみずから土着の道を選んで在地化した階層によるものである。…
…中期以降には,有力商人が資本の投資対象を流通過程のみならず新田経営にも求めるようになる。これが町人請負新田である。資力のある商人が当初から利殖を目的として,幕府や諸藩に一定の開発権利権(地代金,敷金)を支払って開発を認可され,多量の資金・労働力を投下して耕地造成を行い,新田小作人から小作料を徴収する寄生地主となった。…
※「町人請負新田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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