日本歴史地名大系 「東対海地新田」の解説 東対海地新田ひがしたいがんじしんでん 三重県:桑名郡木曾岬村東対海地新田[現在地名]木曾岬村小林(こばやし)見入(けんにゆう)川埋立地を挟んで、西対海地新田の東にあり、北に見入新田、南に小和泉(こいずみ)新田がある。承応三年(一六五四)に近江島(おうみじま)新田と同じく、尾張国知多(ちた)郡の大橋六兵衛によって開発された(長島細布)。宝永四年(一七〇七)の洪水で亡所となり、百姓の自普請で七〇石余の高となる。文化元年(一八〇四)田畑高反別仕訳書上帳(徳川林政史蔵)には高七〇・五六四石、五町八反八畝一歩とあり、寛文四年(一六六四)の検地水帳が天和元年(一六八一)の大風高波で流失したので高附帳を用いたとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報