日本大百科全書(ニッポニカ) 「東方ロカルノ案」の意味・わかりやすい解説
東方ロカルノ案
とうほうろかるのあん
Project for the Eastern Locarno
ナチス・ドイツの現状改訂要求を察知し、「現状維持」に共通の利益をみいだしたフランスとソ連とが、1933年末から1934年にかけての交渉を通じて作成し、関係各国に提議した東欧の地域的安全保障条約構想。「東欧ロカルノ」とも称され、1930年代なかばのヨーロッパにおける重要な外交問題となった。1934年6月段階で仏ソ両国がいちおうの合意に達した草案は、(1)ソ連、ドイツ、チェコスロバキア、ポーランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、フィンランドによる地域的相互援助条約の締結、(2)前記(1)の条約をフランスが、ロカルノ条約(1925)をソ連が保障する旨、約した仏ソ協定の締結、(3)以上の2条約が、条約当事国による批准およびソ連の国際連盟加盟によって発効することなどを取り決めた一般規程からなっていた。フランス外相バルトゥーとソ連外務人民委員リトビノフは同案の実現のために精力的な外交活動を展開したが、1934年9月のドイツおよびポーランドの参加拒否の回答により頓挫(とんざ)をきたし、実現に至らなかった。
[植田隆子]