ロカルノ条約(読み)ろかるのじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロカルノ条約」の意味・わかりやすい解説

ロカルノ条約
ろかるのじょうやく

ラインラントに集団安全保障体制を確立し、第一次世界大戦後の国際緊張を緩和した条約

 1925年4月に就任したフランス外相ブリアンは、ドイツ外相シュトレーゼマンが2月9日に提示していた条約案を積極的に取り上げた。独仏の勢力均衡と欧州市場安定を重視したイギリス外相チェンバレンはイタリア首相ムッソリーニとともに保障供与に応じた。条約は10月16日スイスのロカルノLocarnoで仮調印され、12月1日ロンドンで本調印された。ロカルノ条約のうち、ドイツ、ベルギー、フランス、イギリス、イタリア五か国間条約(ライン協定)は、ラインラントの現状維持、不可侵、非武装地帯化を集団的に保障し、原則として戦争を禁止し、紛争の平和的処理を義務づけた。また、ドイツとフランス、ベルギー、ポーランドチェコスロバキアの四つの仲裁裁判条約は、当事国が権利を争う問題と裁判による解決が不可能な問題の両面にわたり、平和的処理の態様を明示した。

 この条約が成立した結果、フランスはラインラント保障占領に制限を加えられ、ドイツ東部国境と西部国境の質的差異の明確化によって東欧小国の地位は不安定化し、東欧援助に赴くフランス軍のドイツ領土通過が事実上不可能となったため、保障占領と東欧同盟網を連動させる構想に深刻な打撃を受けた。他方、ラパロ条約ソ連と結び孤立化していたドイツは、ロカルノ条約発効の条件である国際連盟加入を1926年9月に常任理事国として実現し、敗戦国の地位を脱し、大国として西欧一員に復帰した。ヨーロッパは、ドーズ案による経済復興の政治的基盤を獲得したが、世界恐慌はこの構造を痛打し、さらに36年3月7日ヒトラーのロカルノ条約廃棄宣言とラインラント進駐に、締約国は有効に対処しえず、ここにロカルノ条約は終焉(しゅうえん)を告げた。

[濱口 學]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロカルノ条約」の意味・わかりやすい解説

ロカルノ条約
ロカルノじょうやく
Pact of Locarno

1925年 10月 16日スイスのロカルノで,ドイツ,ベルギー,フランス,イギリス,イタリアが互いにヨーロッパの平和を保障し,さらにドイツが,ベルギー,フランス,チェコスロバキア,ポーランドとの紛争を平和的手段で解決することを取決め,同年 12月1日ロンドンで調印された一連の条約。この条約は,ある意味で 24年国際連盟で採択されながら批准されなかったジュネーブ議定書に代るものであった。この条約で,ドイツは西部国境の不可侵を約したが,東部国境に関しては仲裁裁判にだけ同意し,イギリスもフランス,ベルギーに対する保障を約束したが,ポーランド,チェコスロバキアについてはそれを拒否した。一方ドイツは,ソ連の疑念をやわらげるために 26年4月にソ連と中立条約を結び,ラパロ条約を再確認した。しかしヒトラー政権成立後,36年3月ドイツは 35年の仏ソ条約を理由にロカルノ条約を廃棄し,ラインラントに軍隊を送った。さらに 38年チェコスロバキア,次いで 39年ポーランドへ進入し,ロカルノ条約は名実ともにくずれ去った。

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